| ■1899年 | 2月13日東京で生まれる。10月より二年半札幌で暮らす。 |
| ■1911年 | 小学校を卒業、お茶の水高等女学校に入学 |
| ■1916年 |
『中央公論』9月号に処女作「貧しき人々の群」発表。
日本女子大英文科予科に入学するが中退。 |
| ■1918年 |
北海道に行きアイヌに取材した「風に乗って来るコロポックル」執筆。
9月渡米。ニューヨークで荒木茂と結婚。「渋谷家の始祖」執筆。 |
| ■1924年 |
春、湯浅芳子を知る。「伸子」を書きはじめる。秋、荒木と離婚。 |
| ■1927年 |
12月湯浅とともにソビエトに行く。 |
| ■1929年 |
4月よりヨーロッパ各地をまわる。 |
| ■1930年 |
帰国後、12月日本プロレタリア作家同盟に加盟。 |
| ■1931年 |
9月「満州事変」が勃発、翌月非合法下の日本共産党に入党し、
反戦平和の執筆活動を強める。
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| ■1932年 |
2月、宮本顕治と結婚
4月駒込署に検挙され、顕治は地下活動に入る。「一九三二年の春」執筆 |
| ■1933年 |
小林多喜二虐殺 夫顕治検挙
「刻々」などを執筆。 |
| ■1934年 |
1月に検挙され、翌月作家同盟解散。6月母の危篤で釈放。
12月、「冬を越す蕾」を発表。 |
| ■1935年 |
4月、「乳房」を発表。
5月淀橋署に検挙される。 |
| ■1936年 |
1月に父急死。6月公判、懲役2年執行猶予4年を受ける。 |
| ■1937年 |
7月、中国への全面侵略戦争開始。
この年、「猫車」「山本有三氏の境地」「海流」「今日の文学の展望」など精力的に執筆。 |
| ■1938年 |
1月から翌年春まで執筆禁止され、翻訳の下請などをする。 |
| ■1939年 |
「その年」を書いたが検閲で発表は不許可。「杉垣」「広場」などを執筆。
「婦人と文学」を書きつづける。 |
| ■1940年 |
10月、大政翼賛会発足。
『明日への精神』『朝の風』『三月の第四日曜』刊行。 |
| ■1941年 |
2月から再び執筆禁止。
12月太平洋戦争開始、開戦の翌日駒込署に検挙される。 |
| ■1942年 |
7月東京拘置所で熱射病のため昏倒、人事不省のまま執行停止で出獄する。 |
| ■1944年 |
6月、夫顕治の公判開始。
12月顕治の第一審無期懲役判決、上告するが翌年棄却され確定。 |
| ■1945年 |
第二次世界大戦終結
8月郡山で終戦を迎える。10月治安維持法撤廃で顕治が釈放される。 |
| ■1946年 |
「歌声よ、おこれ」「播州平野」「風知草」
この年、日本共産党役員としての仕事や新日本文学会中央委員、婦人民主クラブ
幹事の他に、文芸家協会、放送委員会、出版協会など多方面で活躍する。 |
| ■1947年 |
「二つの庭」
夏過労のため千葉で静養する。「二つの庭」の完結後「道標」の執筆を始める。 |
| ■1948年 |
「道標」を書きつづけながら反戦平和の論陣をはる。
12月、「平和運動と文学者」を講演。 |
| ■1950年 |
6月朝鮮戦争勃発。日本共産党中央委員会へ米占領軍が公職追放を指令。
10月「道標」第三部完結。12月東大の戦没学生記念集会で講演する。 |
| ■1951年 |
1月21日電撃性髄膜炎菌敗血症で死去。享年五十一歳。 |