
今は平和記念公園になっている、世界ではじめて原爆が投下された広島「爆心地 中島」の忘れられかけた記憶。あの日までここは、広島一の繁華街だった。知っていてほしい、あの日、たくさんの人が原爆を落とされた真下で生きていたことを。地元の人たちが掘り起こした、爆心地になった町のそのときを再現する貴重な記録集。
目次や構成
〔目次〕
- 推薦のことば ―改訂版刊行にあたって― 浅井基文
- 第1部 爆心地 中島 ―あの日、あのとき―
- 発刊にあたって
- 原爆で消された繁華街
- 1 ただ一つ残った建物、ただ一人の生存
- ・元安橋西詰めに立つレストハウス
- 2 駆けつけた人々の見た惨状
- ・相生橋の東詰め、橋上から
- ・中島本町、慈仙寺周辺
- ・本川左岸、元柳町一帯
- ・材木町
- ・天神町
- 3 全滅した建物疎開作業動員学徒・国民義勇隊
- ・新大橋界隈の県立二中生徒の被害
- ・新橋付近の市女生徒の被害
- ・県立工業学校生徒の被害
- ・中国新聞社国民義勇隊全滅
- ・川内村国民義勇隊の被爆
- 1 ただ一つ残った建物、ただ一人の生存
- あとがき
- 第2部 慟哭の悲劇はなぜ起こったのか ―その明暗を分けたもの―
- はじめに
- 1 広島の建物疎開動員学徒の被害は全国最大
- 2 なぜ、一、二年生が動員されたか
- 3 明暗を分けた教師の判断
- 別表 建物疎開の状況、作業場所
当日建物疎開に出動していた学校・死亡者数
- おわりに
- 改訂版編集後記
著者情報
原爆遺跡保存運動懇談会
1990年発足。広島の被爆遺跡の保存運動の会。著書に『ガイドブックヒロシマ被爆の跡を歩く』(新日本出版社)

広島 爆心地 中島
定価1,540円
(本体1,400円)
2006年8月