
独ソ大同盟に備えコミンテルン解散まで準備。そのスターリンが独ソ開戦後、米英ソ大連合のなかで覇権主義の新たな戦略をたて、モクスワ防衛戦の死闘のさなかにもポーランド制覇をめざす対米英外交を展開。一方、自主的に解放戦争を開始しバルカン半島に対ヒトラー戦争の戦線を開いたユーゴスラヴィアには、援助拒否の冷酷な態度で終始する。
目次や構成
第一六章 謀略のバルカン作戦(下) 9 四、火を噴くユーゴスラヴィア 10 ユーゴスラヴィア。三国同盟参加と軍事クーデター 10 完敗に終わったソ連外交 15 ユーゴスラヴィア共産党、全国的な蜂起の準備に入る 21 ドイツのギリシア作戦の成功。その二つの影響 22 五、コミンテルン解散への決断 25 一九四一年のメーデー・アピールをめぐって 25 「コミンテルンは時代遅れになった」 30 六、スターリン、党と政府の最高責任者に 37 スターリン、軍事問題で若い軍人たちに演説 37 スターリン、政府の最高責任者の地位につく 42 コミンテルン解体をめざす作業のその後 47 七、ドイツの対ソ戦発動 53 スターリン、いっさいの警告を無視する 53 一九四一年六月二二日。そしてその日が来た 62 なぜスターリンはヒトラーにだまされたのか 64 第一七章 独ソ戦始まる 71 一、開戦の日のスターリン 72 その日のクレムリン 72 新路線と各国共産党の混乱 78 スターリン“意気消沈”説(フルシチョフ)の誤り 88 二、スターリンは無能な戦争指導者だったか 94 スターリンは地球儀で戦争を指導した? 94 スターリンの戦争指導能力──ホプキンズの証言 100 英首相チャーチルの証言 106 スターリンの戦争指導の最大の問題点は別の領域にあった 111 三、大戦経過のあらまし 115 一九四一年──モスクワ攻防戦。太平洋戦争の開始 116 一九四二年──南部での大後退からスターリングラード戦での逆転へ 118 一九四三年──クルスク戦車戦。米英軍のイタリア上陸。テヘラン会談 120 一九四四年──東ヨーロッパ進撃。ついに「第二戦線」開く 122 一九四五年──ヤルタ会談。ドイツと日本の降伏 125 第一八章 反ヒトラー連合とポーランド問題(上) 129 一、英ソ連合とソ連=ポーランド協定 130 ヒトラーと戦うイギリスとソ連の同盟 130 ポーランド問題の解決が同盟の先決条件になる 134 ソ連=ポーランド協定の成立 137 二、政策転換。ポーランド解体から独立国家の容認へ 141 過去二年間。ポーランド解体政策の強行 141 スターリンのポーランド新政策。三つの目標 146 ポーランドに新しいマルクス主義政党を 149 最初のモスクワ会談で領土要求を正面から提起 158 チャーチルの弱腰の背景にあったもの 161 三、“カチンの森”事件を逆手に取る 168 “カチンの森”事件──ポーランド将校の大量虐殺 168 反撃に出たスターリン。亡命政府との断交 170 テヘラン会談とポーランド問題 175 チャーチル、亡命政府に東部ポーランドの放棄を要求する 181 第一九章 反ヒトラー連合とポーランド問題(下) 183 四、ワルシャワ蜂起 184 対独戦がポーランド全土の戦場化という段階に入る 184 「国内軍」の武装解除作戦 187 “親ソ”ポーランド政府樹立に足を踏み出す 191 ワルシャワ蜂起の前夜 193 ワルシャワ蜂起とソ連 195 四四年一〇月のスターリン=チャーチル会談 200 チャーチル、亡命政府説得の主役を引き受ける 207 五、ヤルタ会談と政権問題 210 ソ連占領下のポーランド。アルデンヌの危機 210 ヤルタの決定──ルブリン政府の「再編成」 215 「欧州解放宣言」。スターリンとチャーチルのギリシア問答 218 スターリン、新生ポーランドの支配権を確保する 220 六、ポーランド問題。四年間の総決算 225 三つの目標は完全に達成された 225 覇権主義的野望のいっそうの拡大 227 「鉄のカーテン」 229 [補論]“カチンの森”事件・その後 231 第二〇章 ユーゴスラヴィア解放戦争(上) 237 一、本題に入る前に 239 利用した文献資料について 239 ユーゴスラヴィア国家の成り立ち 242 二、最初から国民解放戦争をめざす 248 “四月戦争”とその結果 248 国民解放闘争の戦略路線 253 解放闘争の国際的な展望をどこに求めるか 259 三、武装闘争開始、蜂起の波が全国に広がる 263 ヒトラー、対ソ戦を開始。その日に戦闘開始の決定 263 一九四一年の解放戦争のいくつかの重要な問題点 267 四、モスクワとのあいだで 274 武器援助の問題、国際的認知の問題 274 「いま援助はできない」──スターリンの壁 280 ミハイロヴィチの裏切りとロンドン亡命政府 283 ユーゴスラヴィア共産党独自の無線局を解放区に創設 288 解放闘争への路線批判。チトーの反批判 290 「われわれを助けることができないなら、邪魔はしないでくれ」 298 五、スターリンの真意はどこにあったか 303 ユーゴスラヴィアは亡命政府中心で──対イギリス外交の思惑 304 自主的な革命運動への警戒心 306
著者情報
不破哲三
社会科学研究所所長。1930年生まれ。主な著書「北京の五日間」「私たちの日本改革論」「日本共産党と中国共産党の新しい関係」「二十一世紀と『科学の目』」「科学的社会主義を学ぶ」など多数。