
覇権主義の問題は、中国における台頭など、いまなお重要な国際問題として立ち現れている。1960年代から90年代にいたる、ソ連、中国、北朝鮮の乱暴な干渉攻撃と覇権主義に反対する日本共産党の闘争の歴史、そして、その一つの重要な到達点となった1998年の日中両党合意の全容を1冊にまとめる。現代的意義を持つ待望の書。
目次や構成
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『たたかいの記録 三つの覇権主義』の新版刊行にあたって
- ソ連共産党とたたかって30年
- 日本共産党の存亡をかけた闘争(一九九一年一二月)
- 1 世界の共産主義運動に前例のない犯罪的攻撃
- 2 「自主独立の党を倒せ」を合言葉に無法な干渉
- 3 ブレジネフ、日本共産党打倒作戦を引きつぐ
- 4 「併党」論による志賀一派の生き残り作戦
- 5 ソ連共産党と志賀らとの醜い関係、地下にもぐる
- 6 残された記録が告発―覇権主義の金権の網の目
- ゴルバチョフ時代の覇権主義(一九九一年一二月)
- 7 八六年会談―ゴルバチョフとの最初の定期協議
- 8 歴史はくりかえす―対米協調路線と覇権主義と
- 9 「新しい思考」―理論はあとからついてこい
- 10 ソ連の影響力の拡大ねらって反革新分裂路線の社会党を美化
- 11 「勝共連合」の反共主義を喜ばせた「新思考」路線
- 12 三〇年にわたる闘争の到達点―覇権主義の党の解体
- 覇権主義との全戦線にわたるたたかい(一九九二年一〇月)
- 中国覇権主義とのたたかい
- 一九六六年―日中両党会談(一九九二年一月)
- 1 「文革」と干渉―毛沢東が「日本共産党打倒」を発令する
- 2 東京―なぜ訪中を計画したか
- 3 海路上海へ―彭真との最初の会談
- 4 上海―「文化大革命」の騒乱発動の前夜
- 5 ハノイ―ベトナムとの最初の本格的な首脳会談
- 6 タインホア―北爆の最前線を視察
- 7 北京(上)―ソ連との覇権争いが出発点
- 8 北京(下)―意見の不一致を冷静に確認
- 9 再び北京―「熱烈歓迎」の大集会と共同コミュニケ
- 10 再び上海(上)―毛沢東、コミュニケの「修正」を要求
- 11 再び上海(中)―日本代表団には「軟弱な」メンバーなし
- 12 再び上海(下)―「北京」攻撃への転機の日
- 13 広州(上)―毛沢東との決裂のその後
- 14 広州(下)―「文革」と干渉のなかで
- 覇権主義との全戦線にわたるたたかい(一九九二年二月〜三月)
- 15 党破壊活動の旗印となった「毛沢東思想」
- 16 毛沢東信仰の典型―西沢隆二の外国崇拝と転落
- 17 「紅衛兵」が干渉・攻撃の先兵に
- 18 干渉拡大の転機となった善隣館襲撃
- 19 覇権主義的干渉の応援団となった社会党
- 20 「鉄砲から政権」路線のおしつけとの闘争
- 21 覇権主義の干渉者にたいし断固とした全面反撃へ
- 22 歴史はどんな審判をくだしたか
- 干渉の諸局面をふりかえって(一九九二年一〇月)
- 北朝鮮 野蛮な覇権主義への反撃
- 干渉と攻撃の前史―一九六八年(一九九二年四月)
- 1 六八年の北朝鮮訪問の主題は何だったか
- 2 「南進」問題の真剣な検討を求めて
- 3 玄界灘をこえて北朝鮮へ
- 4 チェコ問題―武力干渉にたいしてどういう態度をとるか
- 5 金日成との会談で「南進」の危険性を指摘
- 6 代表団にたいする秘密警察的な対応
- 7 開始された金日成個人崇拝の体制化
- 干渉の拡大から断絶へ(一九九二年一〇月)
- 七〇年代の干渉と攻撃
- 八〇年代―野蛮な攻撃の開始
- 一九九八年の日中両党関係正常化―報告と記録
- 両党関係正常化の合意について(記者会見、一九九八年六月)
- 日中両党関係の正常化と首脳会談についての報告(日本共産党創立七六周年の記念講演から、一九九八年七月)
- 三二年の歴史をふりかって
- 関係正常化にいたる交渉経過―秘話をふくめて
- 両党首脳会談について
- 新しい歴史をきずく大事業に新たな確信と壮大な意欲をもって
著者情報
不破哲三
社会科学研究所所長。1930年生まれ。主な著書「北京の五日間」「私たちの日本改革論」「日本共産党と中国共産党の新しい関係」「二十一世紀と『科学の目』」「科学的社会主義を学ぶ」など多数。